歴史
悠久の歴史を刻み、高原リゾートとして発展
 北杜市の歴史は縄文時代に始まり、悠久の時を刻んでいます。北杜市大泉町で昭和55年5月に発掘された縄文時代の「金生遺跡(きんせいいせき)」は、国指定史跡の貴重なもので、古来より地域の人々が大自然の恵みを受けて暮らしてきた姿が分かります。

 平安時代、源頼義の三男であり甲斐源氏の祖である新羅三郎義光が若神子城(わかみこじょう)を、また谷戸城(やとじょう)をその孫である逸見黒源太清光がそれぞれ築城するなど、古くより戦略・経済・交通の要所として栄えてきました。また当時から駿馬の産地としても知られ、現在の「乗馬のまちづくり」につながっています。

若神子城址に復元されたつるべ式狼煙台。
 戦国時代には天下の名将、武田信玄により信濃攻略の要衝として整備され、特に「棒道(ぼうみち)」と呼ばれる軍用道路を拓き、信濃への進軍や物資輸送に利用されました。また狼煙(のろし)による情報通信ネットワークは強力で、川中島の上杉軍の動きが、甲府の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)までの約2時間で伝わったといわれています。現在、若神子城址(現ふるさと公園)には、つるべ式狼煙台が復元されています。

信玄が作った棒道は、現在は人気の散策コース。
 江戸時代には、幕府によって甲州街道が整備され、北杜市内には「台ヶ原宿(だいがはらじゅく)」「教来石宿(きょうらいしじゅく)」があり、特に台ヶ原宿は当時の面影を色濃く残した宿場町で「日本の道百選」にも選ばれています。

 激動の明治期には文明開化の流れを受け、市内にも先進的な西洋建築が誕生しました。明治8年に落成した旧津金学校(つがねがっこう)は、現存する擬洋風建築の中では日本最古のものであり、さらに同校の敷地内には明治・大正・昭和の校舎が立ち並び、須玉歴史資料館や農業体験農園施設「大正館」、そしてレストラン・宿泊施設などを備えた「おいしい学校」として親しまれています。

 戦後の北杜市は、八ヶ岳南麓を中心に故ポール・ラッシュ博士と米国市民の国際協力により、酪農・高原野菜によるモデル農村づくりが進められ、北海道から九州まで全国の高冷地農村復興のお手本となりました。それと並行して欧米をモデルとした観光による地域振興も進み、全国的に有名な高原リゾート地として発展しています。