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甲斐源氏・武田氏にゆかりのある歴史名所案内
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小荒間古戦場跡 (長坂町小荒間)
甲陽軍鑑によると、天文9年(1540)2月18日に、信濃の村上義清の軍勢3500余が、小荒間に押し寄せ近郷を焼き払ったので、武田晴信(信玄)は旗本を率いて夜合戦し、勝利したと伝えられる。
晴信が本陣を敷いた所を中屋敷といい、御座石・遠見石・刀架石等がある。
信玄の軍用道路といわれる上の棒道は、この古戦場の近くを南東から西北へと延びている。
JR小海線甲斐小泉駅近く。
お問い合わせ
市教育委員会生涯学習課 電話 0551-42-1373 |
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棒道 (須玉町・長坂町・大泉町・小淵沢町)
棒道は武田信玄が甲州から信州を結んで拓いた道で、信濃攻略のため進軍や物資輸送に利用された。
3つの棒道が造られたが、信玄が川中島合戦のおりに進軍したのは上の棒道と呼ばれている。今は、野鳥と野の花が咲き誇る自然散策の道として親しまれている。また道沿いには5キロ間隔に36体ほどの石仏(観音様)があり、昔のままに豊かな表情をたたえて、ハイカーを迎えてくれる。
スパティオ小淵沢では、毎年5月信玄棒道と湧水の里ウオーク(日本市民スポーツ連盟公認大会)を開催している。スパティオ小淵沢を起点・ゴールとして「三分一湧水」や「えほん村」、「信玄棒道」を歩くコースが設定され、八ヶ岳高原の素晴らしい自然を満喫できる。
お問い合わせ
スパティオ小淵沢ウォーキング担当 電話 0551-36-6111 |
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平賀源心の墓(須玉町若神子)
天文5年(1536)信玄は16歳の初陣で信濃海ノ口城主平賀源心を倒した。その源心の首塚は須玉町若神子に祀られている。北杜市須玉総合支所から徒歩で10分ほどのところにある。
お問い合わせ
市教育委員会生涯学習課 電話 0551-42-1373 |
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山本勘助の墓(高根町蔵原)
武田信玄に参謀として仕え、天才的な知略に武田軍を勝利に導いた山本勘助の墓は、高根町蔵原の民家でひっそりと400年間守られてきた。勘助の墓は長野市や愛知県など県外にもあるが、蔵原の墓は他所とは違い、勘助の法名「道鬼」の入った戒名「天徳院武山道鬼居士」が刻まれ、命日を記した位牌もあり、勘助の子孫という山本家の屋敷内に守られている。
【ご注意】山本勘助の墓は、見学することができません。
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若神子城址・のろし台
(若神子ふるさと公園:須玉町若神子)
新羅三郎義光が京の都から甲斐に移って初めて居館を構えたところと伝えられ、現在、城跡は市民の憩いの場所として若神子ふるさと公園が整備されている。
武田信玄は若神子城でたびたび陣立てを行ったと伝えられ、信濃攻略のための軍道である 上の棒道もこの城域を通過している。
公園内には信玄が軍略上の情報通信手段として用いた 烽火(のろし)台が復元されている。
毎年10月の第一日曜日には 甲斐源氏祭りが行われ、町内外のお客様でにぎわう。祭りでは「 甲斐源氏太鼓」の勇壮なバチさばきも披露される。
お問い合わせ
須玉甲斐源氏祭り実行委員会(須玉総合支所地域振興課内)
電話 0551-42-1113
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三分一湧水(長坂町)
戦国時代に武田信玄が、農民の水争いをなくすため、湧水口に三角の石柱を立てて、下流の三つの村に農業用水を三等分するために造ったと伝えられるのが三分一湧水。日本名水百選にも選定されている。
周辺は公園として整備され、湧水館では、八ヶ岳南麓の湧水の仕組みや水質、歴史について紹介している。併設の「農産加工物直売所」には地元で採れたて野菜や加工品が所狭しと並び、「そば処三分一」では地元産そば粉から作った手打ちそばを食べることができる。
※注 湧水は農業用水のため、飲用には適しません。
| 開館時間 |
午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで) |
| 休 館 日 |
毎週火曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月28日-1月4日) |
| お問い合わせ |
三分一湧水館 電話 0551-32-0058
そば処三分一 電話 0551-32-8318 |
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正覚寺(須玉町)
甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)の菩提を弔うために創建され、当初は天台宗のお寺として高根町にあったが、後に甲斐源氏の館跡である現在地に移転し曹洞宗に改宗しました。
場所は中央自動車道須玉ICから国道141号を清里方面に上ってすぐ左側に見える。
お問い合わせ
市教育委員会生涯学習課 電話 0551-42-1373 |
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清光寺(山梨県北杜市長坂町大八田6600)
逸見黒源太清光(くろげんたきよみつ)が創建した天台宗の寺院で、清光の菩提寺。
清光は甲斐源氏の始祖と言われる新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)の孫にあたり、谷戸城を築いたことでも知られる。武田勝頼が発行した、寺内での殺生・狼藉などを禁じた制札(市文化財)が残っている。長坂駅から北東に1km、中央道長坂IC方面へゆく途中(キッツ工場付近)にある。
お問い合わせ
市教育委員会生涯学習課 電話 0551-42-1373 |
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谷戸城(大泉町谷戸2736)
武田信玄の17代前、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の孫である黒源太清光の居城だったといわれ、その山頂には生活空間である三角形の郭が中心に置かれている。平成5年国指定の城址となった。
標高850メートル、東西約500メートル、南北に約300メートルの広大なこの城は、地元では「城山」と呼ばれ、遠く甲府盆地まで雄大な眺めが得られる。
お問い合わせ
市教育委員会生涯学習課 電話 0551-42-1373
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増富ラジウム温泉(須玉町増富)
山梨県で世界に誇る温泉といえば、ここ、 ラジウム含有量世界一ともいわれる 増富ラジウム温泉郷。戦国時代に武田信玄が金山を発掘する際に発見した隠し湯という伝説の温泉である。今では四季折々に美しい姿を見せる山の湯治場として年々訪れる人も増えています。
温泉の効能は神経痛・肝臓障害・リウマチ・胃腸病などで、入浴とラドン(ガス)の吸入で湯治の効果は抜群で、登山やハイキング・日頃のストレスなどで疲れた体をいやすにはもってこいの場所。
温泉の近くにあった増富金山は、信玄が甲州金を鋳るために数千人の人夫を送り込み採掘させたといわれ、当時この地には 金山千軒(カナヤマセンゲン)と呼ばれるほどにぎやかだった。
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歴史名所 市外・県外(代表的なもの)
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能見城(韮崎市)
JR中央本線穴山駅の近く、県道沿いの岩山に「 能見城跡」の文字看板が見えます。信玄の家臣守屋新兵衛尉定知(モリヤシンヘエノジョウイサダトモ)の居城と言われる。 |
新府城址(韮崎市)
武田家最後の武将武田勝頼の城。勝頼は、天正9年(1582)に築城し甲府の躑躅ヶ崎(ツツジガサキ)から移ったが、織田信長の嫡子信忠に攻められ城を捨てたと伝えられる。
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武田八幡宮(韮崎市)
武田氏の始祖 武田信義が建立、武田氏の守り本尊が祀られている。現存する本殿は信玄が再建(1541)したもので、また、入口の鳥居は山梨県の重要文化財に指定されている。
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宗泉院(ソウセンイン:韮崎市)
山本勘助の供養塔がある。
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信玄堤(甲斐市)
甲府盆地を襲う洪水を防ぐため、信玄が築いた 石積みの堤防。
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善光寺(甲府市)
信玄が 川中島の戦いのとき、信濃善光寺が火災にあって消失するのを恐れて仏像を移し建立した寺。東日本最大級の木造建築物で、棟札は国の重要文化財に、建物(復元)は県の有形文化財に、そして仏像類は甲府市の文化財に指定されている。
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武田神社〔躑躅ヶ崎館跡(ツツジガサキヤカタアト)〕
躑躅ヶ崎の館は 武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)が居を構えた館。国指定史跡。現在は武田神社の境内だが石垣や掘の遺構が残る。
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恵林寺(エリンジ:甲州市塩山)
信玄公の 菩提寺。桜の花見場所としても有名。
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海ノ口城址(長野県南牧村)
天文5年(1536)信玄が16歳の時に信濃海ノ口城主平賀源心を倒した。信玄の初陣の戦いだった。なお、平賀源心の墓は北杜市須玉町の若神子にあり、今も墓石があります。
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